3月31日(日)晴れ

今日は日曜なのでラジオの日でした。

星のコーナーは
ろくぶんぎ座の話をしましたよ。

ろくぶんぎ(六分儀)座というのは
しし座のすぐ下にある星座です。
星の位置を測るための分度器のような道具の星座なのですが
明るい星が全く無い、小さなマイナー星座であります。

それはそうと
ここ数日また寒くなってきました。
明日も寒そうなので
風邪をひかないようにみんなで気をつけましょう!!
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3月30日(土)曇り

今日は東京の渋谷で飲み会があったので
電車に乗って行ってきました。

4年前に
旅行会社のパックツアーに参加して
チュニジア共和国に行ったことがあるのですが、
今日はその時にツアーで一緒だった人たちとの会でした。

ツアーの参加者は20人くらいだったのですけれど
今でも連絡を取り合っていて
年に数回、今日のような飲み会があります。
今日は7人集まりました。

幹事さんというか、
世話好きな人が一人いて
ときどきこうして集まる機会をセッティングして
みんなにメールを回してくれるのですね。
この会がずっと続いているのも、ひとえにその方のお陰だと思います。
(ありがとうございます)

ウチは、子どもが生まれる前は
二人で参加することが多かったですが
祐太が生まれてからは
サチコネエサンと僕が交代で参加してます。
今回は僕の番でした。

それにしても
今日は帰りの電車がとてもすいていて良かったです。
年度末で春休みだからかな??

3月29日(金)晴れ

今日も新しい曲のアレンジをやりました。
お陰さまでけっこう進みました。

ところで
今日からプロ野球が開幕しました。

なんと驚くべきことに、
我がベイスターズは初戦に勝ちました!!
晩ご飯のおウドンを食べながらテレビを見ていたら
ちょうど逆転したのでスゴイナーと思いました。

今年こそ最下位から脱出できるかな??
少なくとも今日の時点では最下位じゃないので
とっても幸せな気分です。
今年もがんばってベイスターズを応援します。

3月28日(木)晴れ

今日はポルトガル語教室の日でした。

きょうはけっこう
先生と会話が続いて良かったです。

自宅から教室までは
いつも自転車で川沿いの道を20~30分ほど走って行くのですけれど
桜並木が満開で素晴らしかったです。
歩きながら桜を見上げている人や
写真を撮っている人もいました。

3月27日(水)曇り

今日も、先日1泊2日で行った大阪&京都の写真を載せます。
ここ数日でずっと書いてきた今回の旅行記?は
いちおう今日が最後です。

↓これは、京阪電車の橋本駅のそばにある銭湯『橋本湯』さんです。
(クリックして大きくして見てね)
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京都府の八幡市にあります。

昨日書いたとおり、
僕は洞ヶ峠から1時間かけて淀川の岸辺まで歩きました。
淀川に着いたら、↓ちょうど日が暮れました。
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この日は、夜9時近い新幹線に
京都駅から乗って神奈川に帰る予定でしたが、
この橋本駅から京都駅までは1時間もかかりませんので
だいぶ時間をもてあますことになってしまいました。

僕は、
『京都駅で2~3時間くらい
 ご飯を食べたり買い物をしたりして時間をつぶそうかな』と思って
淀川から橋本駅に向かって歩き始めました。

そうしたら、レトロな外見の銭湯があったので、
『なるほどー、銭湯か。新幹線に乗る前にお風呂に入るという手があったか!』
と思いました。
夕暮れの淀川の風はとても冷たくて
体も冷えていたので、銭湯はとても魅力的に映りました。

で、恐る恐る戸を開けると
番台におじいさんがいたので
『あのう、通りがかりの者なのですが、僕でも入れますか?』
と聞きました。

すると
『誰でも入れるよ』と言われました。

そのご主人はとても話好きで、
僕がいま旅行中で、たまたまこの銭湯を見つけたのだというと
地元の歴史や、この銭湯の歴史について熱心に説明してくれました。

ご主人が、
『古い銭湯だからね、
 よく映画の撮影やCM撮影なんかでここが使われるのよ。
 あのノド飴のコマーシャルもここで撮ったのよ。
 ホラ、あれがその時に来た有名人のサインよ。』
というので番台の上を見ると、
日本人なら誰でも知っているような大物女優や大物演歌歌手などの
サインが飾られていました。

中には何種類かのお風呂がありました。
このような、地元の人しか利用しないような銭湯に入るという経験は
あまりないですから
これも楽しい体験だなあ、良い思い出になるなあと思いました。

するとお客のオッチャンが
『シャンプーと石鹸、貸したろか~』と僕に声をかけてきました。
最初、何のことか分からなかったので戸惑っていると
『シャンプーと石鹸、持ってへんのやろ~。貸したろか~』とまた言いました。

僕は銭湯というところにほとんど行ったことが無いので、
シャンプーや石鹸は銭湯には備え付けられていなくて
利用客が自分で持ち込むのだというシステムを知らなかったのであります。

旅行や仕事で泊まるようなホテルには
部屋のユニットバスにも大浴場にも石鹸&シャンプーは備え付けられていますので
僕はそういう感覚で入ってしまったのでした。

ということで
僕はその地元のオッチャンから
ボディーソープ(ビオレU)とシャンプー(シーブリーズ)を借りて
体を洗って、大きなお風呂に浸かりました。
湯加減はサイコーに気持ちよかったです。

そのオッチャンは
僕が銭湯のご主人と話していたのを脱衣場で聞いていたらしく、
『神奈川県の平塚から来たそうやな。
 平塚いうたら、競輪場があるとこやなあ。』
と言いました。

『そうですそうです、よくご存知ですねえ』と答えると、
オッチャンはさらに
『神奈川いうたら大井競馬もあるなあ』
と言いました。

『良くご存知ですねえ。でも、ギャンブルばっかりですねえ』
と言うと
『そうや、ギャンブルは大事や。』
と言いました。
そのやりとりを聞いていた他のお客のオッチャンたちは
苦笑いしていました。

親切で話好きなオッチャンのおかげで
とても楽しい時間を過ごすことができました。
そのオッチャンは
以前東京に住んでいたことがあるので
神奈川あたりのことも知っているのだそうです。

これまで僕にとっては、京都府の八幡市なんて
いちおう名前は聞いたことがあるけれど、どんな所かは知らないという存在でした。
この一つの銭湯のおかげでとても楽しい体験ができましたし、
ご主人やオッチャンのおかげで、いい人と会えたなあという良い思い出ができました。
どうもありがとうございました!!

3月26日(火)晴れ

今日は祐太と子育て支援センターに行ってきました。

子育て支援センターというのは市の施設で、
無料で利用できる乳幼児の遊び場という感じの場所です。
オモチャがたくさんあって、保育士さんたちが歌を歌ってくれる
ジョイフルタイムもあります。

子育て支援センターには桜の木があるので
ついでにお花見もしてきました。

↓これは今日の祐太と桜の木です。(クリックして大きくして見てね)
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ところでここ数日、毎日のように
先週大阪&京都に行ったときの話を書いていますけれど、
今日も書かせて頂きます。

昨日は京都の石清水八幡宮の写真を載せましたが
そのあと、そこから電車とバスに乗って
京都府と大阪府の境界にある
『洞ヶ峠(ほらがとうげ)』という峠に行きました。

↓これが、その洞ヶ峠(ほらがとうげ)です。
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写っている道路は、国道1号線です。
写真の右奥のほうが一番高くなっている地点で、
あそこを境にして、こちら側が京都府の八幡市で
あちら側が大阪府の枚方市です。

何の変哲もない峠ですが
この洞ヶ峠は歴史上とっても有名な場所です。

1582年の『本能寺の変』の直後、
織田信長を討った明智光秀と、豊臣秀吉が
京都と大阪の中間にある天王山のふもとの山崎という場所で決戦を行いました。
『天王山の戦い』とも『山崎の戦い』とも言われる
天下分け目の戦いです。

この戦いに勝利した豊臣秀吉は、その後
天下人への階段を駆け上って行くわけです。
戦国時代の合戦のなかでも、極めて重要な戦いです。
こんにちでも、スポーツなどで
優勝の行方を決めるような重要な試合を『天王山』といいます。

で、この洞ヶ峠は
合戦が行われた山崎の地から南へ5~6キロほど離れた場所にあります。
ここで、一つの有名なエピソードが生まれたのです。

豊臣秀吉と対決することになった明智光秀は
仲の良かった、奈良の筒井順慶という武将に
味方になってくれるように頼みました。

筒井順慶サンは
その要請に応えてこの洞ヶ峠までは来たものの、
『しばらく戦況を見守って勝ちそうな方に味方する』ということに決め、
しばらく合戦の様子をここで見守っていたのだそうです。

で、豊臣秀吉のほうが優勢になったので
明智光秀を見捨てて秀吉に味方して、
いわゆる『勝ち馬に乗った』わけです。

以来、筒井順慶さんは
『自分の保身のために友達を見捨て
 戦況を見守って勝ちそうな方に味方した
 優柔不断で信念の無い卑怯なヤツ』というイメージで
語り継がれることになってしまいました。

そして、
『洞ヶ峠』という地名は
『戦況を見守って勝つ方に味方する』とか
『後々自分に有利になるように振舞う』という意味の
日本語の慣用句になりました。

が、しかし
今日ではそのエピソードはウソだ、ということになっています。
僕が持っている歴史の本には全て
筒井順慶サンは最初から明智光秀の味方をする気は無く
この洞ヶ峠にも来なかったのだ、と書いてあります。
筒井順慶サンは、何百年間も完全なヌレギヌを着せられていたのです。

↓洞ヶ峠には、レトロな感じのお茶屋さんがありました。
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僕は、せっかく洞ヶ峠に来たので
この峠の茶屋で何か記念にいただこうと思って中に入り
ざるそば(500円)を食べました。

それにしても、
戦国時代の史跡としてはけっこうメジャーなはずの洞ヶ峠ですが
国道をクルマがビュンビュン走っているだけで
何の風情もなかったので
こんなものかいな、と思いました。

で、峠の茶屋の店員の女性に
『せっかく神奈川県から来たので、記念になるような写真を撮りたいです。
 洞ヶ峠って書いてある石碑のようなものは無いのですか?』
と尋ねました。

すると店員の女性は
『私は地元の人間ではないので分かりませんが
 外で作業しているオジサンが詳しいので聞いてみたらいいと思います』
と言いました。

僕は女性にお礼を行って外に出るとオジサンがいたので、
同じ質問をしてみました。
オジサンが僕に
『歴史の勉強してはるの?』と聞くので、
『勉強ってほどでは無いですが、史跡を訪ねるのが趣味で
 この洞ヶ峠にも来てみたいと思ったのです』と言いました。

オジサンは、
『そこの交差点の角に小さな石碑があるよ』と教えてくれたので
オジサンにもお礼を行って、交差点に行ってみました。
↓そうしたら、この石碑がありました。
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写っている影は僕です。

石碑には『筒井順慶、陣所跡』という文字があり、
裏側には『昭和2年』と書かれていました。

こんにちの歴史学では
筒井順慶さんはここには来なかったということが分かっているのに
『筒井順慶がここに陣を張った』という石碑があるのは
いったいどういうことだろうか?と混乱しました。

もしかしたら、昭和2年当時の人たちが
『筒井順慶がここに来たという言い伝えがあるのだから、そういう石碑を建てよう』
というふうに、伝説が事実化してしまったのかな?と思いました。
だとすると、全国にたくさんある石碑というものも
必ずしも歴史的事実を伝えているものでは無いということになります。

そんな話はいいとして、
まだ日が高かったので
僕は、この洞ヶ峠から淀川まで歩いてみようと思いつきました。
地図を見ると4キロくらいだったので
1時間くらいで着くのではないかと思いました。

↓これが、洞ヶ峠から淀川へ向かう道の景色です。
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ゆるやかに下ってゆく道路の正面に天王山が見えます。
その手前側の麓が山崎の古戦場です。

僕はこの道を歩きながら
『なるほど~、洞ヶ峠から山崎の戦場は見えるんだなあ。
 筒井順慶さんが洞ヶ峠から戦況を見守っていたというエピソードは
 いちおうは現実味のある話なんだなあ。
 でも、直線距離で5~6kmというのは遠すぎるなあ。
 あそこで合戦が行われているというのは分かるかもしれないが、
 どちらの軍が優勢か、ということまでは分からないんじゃないかなあ。
 オランダで、リッペルスハイがレンズを2枚組み合わせると
 遠くのものが大きく見えるという原理を発見して
 それをヒントにガリレオガリレイが望遠鏡を発明したのが1610年だから、
 合戦が行われた1582年当時はまだ望遠鏡も双眼鏡も無かったはずだ。
 洞ヶ峠からは絶対に戦況は見えない。
 やっぱりあのエピソードは、ウソなんだろうな。
 でも、誰かがそういう作り話をデッチ上げて、それが何百年間も伝承されたということには
 何か意図や意味があるんだろうな。』
などと考えました。

↓56分かかって、淀川の岸辺に着きました!!
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ちょうど日暮れ時で、淀川の美しい風景が広がっていました。
↓対岸に天王山が見えます。あの手前側の麓が山崎の戦場となった場所です。
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洞ヶ峠から淀川まで
自分の足で歩いて56分かかったというのは
他の人にとっては全く価値の無い、どうでもいいことですが
僕にとっては重要なことです。

僕は昔、
大阪の堺市にある
日本一大きな前方後円墳である仁徳天皇陵(だといわれている大山古墳)を訪れたとき、

やはり自分の足で大きさを感じてみたいと思い
古墳の周りを一周歩きました。
その時は49分かかりました。
とても良い思い出になっていますし、
そのスケールの大きさを自分で体感できたというのは
少なくとも僕にとっては重要なことであります。

ということで
連日長々と書いてしまいましてスミマセンです。

3月25日(月)雨

今日も
先週、大阪&京都に行ったときのことを書きます。
1泊2日の短い旅行?でしたけれど
いろいろと周れたので、けっこう書くことがあるのです。
飽きずにお付き合いいただけましたら幸いであります。

先日は、大阪の万博記念公園に行った話を書きましたが
その足で京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に行きました。

万博公園から石清水八幡宮までは
↓まずモノレールに乗ります。(クリックして大きくして見てね)
blogpic03 001
モノレールで門真市という駅まで行き、
そこで京阪電車に乗り換えました。

↓これが京阪電車です。
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緑色がとてもキレイなカッコいい電車でした。
↓これは京阪電車の運転席です。
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京阪電車で八幡市という駅に着きました。
石清水八幡宮はこの八幡市の駅前にあります。

神社は山の上にありますので、
駅前からケーブルカーで登ります。
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ケーブルカーで山の上に登ると、
↓素晴らしい眺めが広がります。
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この写真では右奥のほうが京都の市街地なのですが、
眼下には、3つの川が一か所で合流する『三川合流地点』というのが見えます。
あそこで、
京都から流れてくる桂川(鴨川)、琵琶湖から流れてくる宇治川、
そして南から流れてくる木津川の3つが合流して
『淀川』になるのです。

この日は天気がとても良かったので
眺めも良かったです。

そしていよいよ、↓石清水八幡宮にお参りをしました。
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僕がなぜここに来たかったかというと
この石清水八幡宮は
源氏の氏神としても知られ、
数々の歴史的な出来事や物語の舞台になった場所だからです。
歴史の本や古典を読んでいると
この神社の名前は非常に頻繁に登場します。

有名なところでは、
鎌倉時代に書かれた『徒然草』という随筆にも登場します。
それはこんなお話です。

京都のあるお寺のお坊さんが
この石清水八幡宮にお参りしたそうなのですが、
山の麓のお社だけにお参りして
メインである山の上の本殿に行かずに帰ってしまったのだそうです。
そして帰ってから同僚のお坊さんに、
『石清水八幡宮にお参りしてきたよ。
 でも、なぜか知らないが山の上に登っていく人たちが大勢いたんだよね。
 山の上に何かあったのかな。』
と言ったそうです(笑)。

徒然草の作者の吉田兼好サンは
『このような失敗をおかさないためにも、
 何ごとにもガイドは必要ですなあ』
と結んでいます。

が、しかし
僕が石清水八幡宮に行きたい!と思った理由は別にあります。

じつは何と、日本の歴史上でたった一度だけ
将軍を『クジ引き』で選んだという出来事があったそうなのです。

室町時代の4代将軍である足利義持という人は、
5代目の将軍に、自分の息子である足利義量(よしかず)という人を任命し、引退しました。
しかしその5代目の義量サンが若死にしてしまったので
6代目を決めないといけなくなったのでした。

しかし義持さんには息子がもういなかったので、
弟たちの中から6代目の将軍を選ぶことになりました。

で、弟たちの誰を次の将軍にするかというのを
なんとクジビキで決めたそうで、
そのクジビキをやった場所が、この石清水八幡宮なのです。
クジが当って将軍になったのが、6代目の足利義教(よしのり)です。

この話を本で読んだときに
将軍をクジビキで決めるなんてスゴイナーと思いました。
そして、そのクジビキをやった石清水八幡宮というところに
行ってみたいなーと思ったわけです。
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僕は、この本殿にお参りして
おみくじ(200円)を引かせていただきました。

僕は神社仏閣に行くと
かならずおみくじを引くことにしているのですけれど
ここのオミクジはとってもスペシャルであります。
何しろ、次の将軍を誰にするかを決めた石清水八幡宮のクジですからね。

結果は、『中吉』でした。
ありがとうございます!!
来年度もがんばります!!

↓ところで、ここの境内には『エジソン記念碑』がありました。
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発明王のエジソンさんが電球を発明したときに
その発光部分のフィラメントに京都の竹を使ったという話は聞いたことがありましたが、
その竹が、この石清水八幡宮に生えていた竹なのだそうです。
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ということで、
実はこのあと別の史跡にも行きましたので
その話も後日書きたいと思います。
飽きずにお付き合いいただけましたら幸いです。

3月24日(日)晴れ

今日は日曜なのでラジオの日でした。

星のコーナーは
おおぐま座と北斗七星の話をしましたよ。

ところで昨日は、
先週に大阪の万博公園に行ったときのことを書きましたが、
大阪に行ったそもそもの目的は
豊中市立新田小学校を訪れることでした。

この新田小学校では、6年生の児童の皆さんが
学年で『地球星歌』を歌ってくれていました。
さらに昨年の秋の発表会では、
3クラスあるうち
1組が『星降る里』、2組が『いつかこの海をこえて』、3組が『ボイジャー』
を歌ってくれたのだそうです。

さらに卒業式では全員で『COSMOS』を歌ってくれたということで、
学校&学年ぐるみで僕の作った合唱曲をほぼ全て歌って下さったのです。

僕は学校の先生からメールやお便りを頂いてそのことを知り、
光栄だなあ、ありがたいなあと思いました。
そういうご縁から
せんじつ大阪の豊中市にある彼らの学校に行って、
児童の皆さんの合唱を聴かせて頂いたり
曲についていろいろなお話をさせて頂いたりしてきました。

6年生の皆さんは
とても純朴で快活で、クラスメイトや友達同士の仲がとても良さそうでした。
彼らの合唱は音程やハーモニーがとてもしっかりしていて
とても上手かったですけれど、
それ以上に仲間同士の信頼感や一体感が伝わってきてとても良かったです。

児童の皆さん本当にありがとうございました。
卒業おめでとうございます。
中学生になっても
今までどおりに元気にがんばってください!!

3月23日(土)曇り

今日も、先週にいろんな所に行った話を書きます。

3月14日と15日の1泊2日で、大阪に行ってきました。
↓これは、大阪の万博公園にある『太陽の塔』です。(クリックして大きくして見てね)
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万博記念公園は、
いまから43年前の1970年に行われた
大阪万博の会場だった敷地を公園に整備したものです。

この『太陽の塔』は、
大阪万博のシンボルだったもので、今でもこうして保存されています。

↓太陽の塔の前には、高速道路やモノレールが賑やかに走っています。
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この高速道路は、
僕たちはクルマで何度も通ったことがあります。
神奈川県からクルマで四国や九州や神戸や山陽・山陰地方へ行くときに
かならずこの場所を通ることになります。

ですので、アクアマリンで西日本へ演奏に行くときには
いつもここで車窓から太陽の塔を眺めて
『ありがたや~』と拝んでいました(笑)。

そして、前を一瞬通り過ぎるだけでなく
いつかここを訪れて
太陽の塔をじっくり見上げてみたいと思っていたのです。

↓これは、僕が泊まった『ホテル阪急エキスポパーク』です。
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モノレールの駅を降りてすぐ目の前にあります。

大阪への新幹線のキップの往復と
ホテルの宿泊がセットになった安いプランで取ってもらいました。
そういうプランにしたほうが
ホテル代を含めても
自分で新幹線の往復のキップを買うより安いんだねえ。

大阪へ行った目的は
合唱曲を歌ってくれている小学校を訪問することだったのですけれど
(学校訪問の様子はまた明日書きたいと思います)、
その小学校がなんと憧れのバンパク公園の近くだったのです!

僕は、いろいろ選べるホテルの中から
万博公園のこのホテルを予約してもらいました。

↓僕はついに、憧れの太陽の塔と間近で対面しました!!
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これは、ほんとうに感動的な瞬間でした~。

どうして太陽の塔にこんなに憧れていたかというと、
僕は、この塔を作った
芸術家の岡本太郎さんの大ファンなのであります。
若い人は知らないかもしれませんが、
『芸術は、バクハツだ!!』という名セリフで
一世を風靡した芸術家のオジサンがいたんだよ。

岡本太郎さんの作品は非常に抽象的で
何を描いたものなのか、何を表現したのかものなのかは
僕はほとんど分からないのですけれど(笑)、

彼が書いた
『今日の芸術』という本(今から50年くらい昔に発売されて当時ベストセラーになったらしい)を
読んだときに衝撃を受けて、
以来、僕は岡本太郎さんを『心の師』と仰いでいます。

作品や振る舞いは不可解でキテレツなイメージだけど、
著書で展開する芸術論は、
小学生にも理解できるような分かりやすい言葉で
読者に優しく話しかけるような口調で
『誰もが芸術家なんだ。君は鑑賞したり評論したりする立場ではなくて
 作ったり描いたり歌ったり表現したりする側の人間なんだ』と語りかけてきます。
いま読んでも、ぜんぜん古くさい感じがしないよ!

僕はその芸術論にすご~く励まされましたし、
そのおかげもあって
ずっと歌を作ってこられたのだと思います。

太陽の塔を見上げていた時間は
ほんとうに幸せな時間でした。

↓これは、万博記念公園の中にある、『EXPO'70パビリオン』です。
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大阪万博の期間中、『鉄鋼館』というパビリオンだった建物が
いまは当時の様子を伝える博物館になっています。
万博から40周年を記念して、3年前にオープンしたそうです。

この博物館もとても良かったです。

1970年の大阪万博は、僕が生まれる前の出来事なので
ときどきテレビで流れる記録映像でしか知りません。
東京オリンピックのような
日本の高度経済成長を象徴する
伝説的なイベントとして、なんとなく聞いたことがあるという程度です。

この博物館の展示を見学していたら
半年間の開催期間で6400万人が訪れたという
当時の会場の熱狂や、
ここを訪れた人たちが感じたであろう驚きや感動、未来への希望などを
追体験することができました。

一つだけとっても強く思ったのは

今から43年前の1970年当時、
日本人のほぼ100%が
未来はとても明るく
21世紀はみんなが幸せに暮らせる夢の世紀になると
信じて疑わなかったんじゃないだろうか、ということです。

展示されている写真の
当時の会場を訪れた人々、子どもたちの目は
明るい未来への希望と確信にあふれて輝いていました。

確かに21世紀はとても便利になりましたが、
あの時代よりも『幸せになった』のだろうか、
なんて考えていたら
とっても重い気持ちになりました。

僕たちは、この43年間のどこかで
進むべき道を間違えてしまったということが
けっこうたくさんあるんじゃあないだろうかと思いました。

そんな話はいいとして
万博公園に行くことができて
人生の夢がまた一つ叶いました。
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↑公園はとても広くて、いろんな施設があり
子どもも一日楽しめるようなところでしたので
いつか家族でも行ってみたいです。

3月22日(金)晴れ

今日も天気が良くて暖かかったです。

きのうは、
先週に岩手県の釜石に行ったときのことを
ものすごい長文で書いてしまいましたが、

その釜石からの帰りに
陸前高田にも寄らせていただきました。

陸前高田は、あの有名な
『奇跡の一本松』のあるところです。

奇跡の一本松は
保存のために一度バラバラに分解して
保存処理をしたあと再度組み立てたのだそうです。

僕が行ったときは
その組立作業が終わって
ちょうど再現されたところでした。
まだ周囲に足場が組まれていました。

すぐそばまでは行かれませんでしたが
それでもじゅうぶん良く見えました。

訪れたのは夕方で、
曇っていたこともあり
辺りは少し薄暗くなっていました。

そんな中で
浜辺にひとり立つ一本松さんは
枝の先まで、まるで生きているように見えました。
本当に、『いのちを吹き込まれた』という感じがしました。

僕は女川でも釜石でも
これまで被災地の写真を一枚も撮ったことがなかったのですが、
一本松の写真を、1枚だけ撮りました。
(1枚だけといっても同じ構図で3ショットくらい撮ったわけですが)

一本松さんは、これから
多くの人に希望を与え、励まし、復興を見守り、また
歴史の証人として後世の人々に真実を伝えるという
大きな仕事を任されたわけです。

それにしても
陸前高田の状況も本当にひどいと思いました。

僕は、一本松に向かって
しばらく手を合わせて目をとじてお祈りしてきました。
陸前高田の海岸に
松原の壮観な風景がふたたび戻り、
それを見るために日本じゅうからやってきた大勢の観光客で賑わう
という日がまた来るでしょうか。
僕はまたいつかきっと陸前高田に行きたいと思います。

3月21日(木)晴れ

今日も暖かかったです。

ところで、先週は岩手に大阪&京都など
いろんな所に行かせて頂いたので
そのことも書きたいと思います。

3月13日(水)は
岩手県にある釜石市立釜石東中学校の
卒業式にお招きいただきまして、出席してまいりました。

僕は1年ほど前、
この中学校の生徒の皆さんの想いや言葉を集めて
一つの合唱曲を作るということをやらせて頂いたので、
そのご縁でお招きいただきました。

生徒の皆さんと一緒に作ったのは
すでに楽譜が世に出ている
『いつかこの海をこえて』という曲です。
全校生徒一人一人が書いてくれたアンケートのようなもの?を元に
僕が作詞と作曲をし、
それを、数多くの合唱曲を手がけている富澤裕先生が
合唱用に編曲して下さいました。

二部合唱と三部合唱の両方がありまして
それぞれ楽譜と、合唱団が演奏したCDが発売されていますので、
ぜひ多くの方々に歌って頂けると嬉しいです。

どうしてこのようなプロジェクトが行われたかというと、
震災のあった年の年末に
釜石東中学校が全校合唱で『第九』の演奏会に出演し
その中で第九のほかに『地球星歌』も歌ってくれたところから
話が始まります。

釜石東中学校というのは三陸海岸の海辺にありましたが、
震災で校舎の3階まで津波に破壊されて、
生徒の7割が自宅を津波に流されてしまったという
非常に深刻な被害を受けた学校です。

しかし、普段から避難訓練をよくやっていたので
登校中だった生徒さんたちが全員避難して助かったというだけでなく、
となりの小学校の児童たちの手を引いて、また
避難の途中で合流した保育園児たちを抱えて走ったりして
その全員が助かったという『偉業』をなしとげました。

その偉業は『釜石の奇跡』と呼ばれ、
絶望的な悲しいニュースがたくさん報じられる中で
ひとすじの希望の光となったのでした。

そんな生徒さんたちと、市民オーケストラの方々が
震災からわずか8ヵ月後に
年末の第九の演奏会を開いたのです。
そこで彼らは、第九のほかにも地球星歌を歌ってくれたというわけです。
(この演奏会は伝統的に毎年行われていて、
 普通に考えれば中止になりそうなところを
 こんな時だからこそやろう!という大勢の人たちの気持ちで成功させたそうです)

その演奏会の様子を録音して放送した
地元のラジオ局のFM岩手の方が、
『凄まじく感動的な演奏だった』といって
作者の僕を突き止め、メールで連絡をくれたり
その音源を聴かせてくれたりしたのです。

そういう感じで交流が始まり、
年が明けた昨年の3月(震災から1年という時期)に
僕たちアクアマリンが岩手に行き、彼らの学校で
コンサートをすることになりました。

ところがそこで一つ問題になったのが、
僕たちが岩手まで行く交通費や宿泊費とかを
誰が出すのかということでした。

僕たちは、当然ボランティアのつもりで
そういった費用は全部自分たちで出すつもりだったのですけれど、
FM岩手の方が
『篤志家の方から寄付があったので、あなたたちが岩手に来る費用は
 そこから出る』とおっしゃるわけです。

僕たちは
『そんなお金は受け取れない。僕たちが費用を払うんだ』と言いましたが、
先方は
『もう会議で決まったので…』という感じで
両方困ってしまったわけですね。

そのとき、
FM岩手の方が言いました。
『では、こうしませんか。
 費用はこちらが出すということにしてもらって、
 その代わりに、ミマス氏が生徒さんたちのために
 ノーギャラで1曲作るっていうのはどうです?』

僕は、『ああ…それならいいかなあ』と思いました。
(ですので、この一つの歌ができたのは
 ひとえにその寄付をされた方々とFM岩手のお陰であります)

そういうやりとりをしてから
僕たちが岩手に行って学校でコンサートをするまでに
わずかな時間しかなかったので
本当に大急ぎで作らないといけませんでした。

音楽の先生が全校生徒に
『みんなの想いを集めて歌を作ることになったので、
 歌に込めたい気持ちや言葉を書いてください』と呼びかけて
全校生徒およそ180人分が書いたメッセージを送って下さいました。

その内容はどれも壮絶なもので
僕は一枚一枚に衝撃を受けながら読みました。
ほんとうに、大きな包丁がグサグサと心臓に刺さるような感じがしました。

その時点で震災から1年近く経っていましたが、
あれだけテレビや新聞やさまざまなメディアで被害の状況を見て、
実際にいわゆる被災地ボランティアで一度だけ宮城県の女川に行っていたのに
被災した個人個人の気持ちや胸のうちなんて
自分は何にも分かっちゃあいなかったんだと思い知らされました。

そして、これは大変なことを引き受けてしまった!
自分は、壮大なスケールの『余計なこと』をしようとしているのかもしれない、と
いう気持ちで押しつぶされそうになりました。
今でも、そういう不安というか、申し訳なさは
ずっと心の中にあります。一生消えないでしょう。

生徒さんたちが書いてくれた言葉で
いちばん多かったのは
『希望』と『感謝』でした。
この2つのワードは、大半の生徒さんが書いていました。

僕はやはり、この歌は希望の歌にしよう、
これから故郷の復興を担うみんなの
幸せな人生を願う歌にしようと思い、
そういうふうに作詞と作曲をしました。

彼らの学校は、釜石市の鵜住居(うのすまい)という地区にあったので
歌詞に『鵜住居(うのすまい)』という地名を入れたいという生徒さんも
けっこういました。

でも、それをやると
そこに住んでいる人にしか理解できない
ご当地ソングになってしまう恐れがあるわけです。
僕は、みんなの想いが詰まったこの歌を
広く大勢の人たちが歌ってくれるといいなあと思ったので
歌詞には彼らの故郷の地名を入れませんでした。

が、しかし
コッソリ入れるということを思いつきまして(笑)、
歌詞の、それぞれの行の頭の文字をつなげて読むと
『鵜住居(うのすまい)で生きる、夢抱いて生きる』となるように
各行の頭の文字を決めて
そこから歌詞を作ってゆきました。

僕はこれを
イロハニホヘトの『いろは歌』
(各行の最後の文字をつなげて読むと隠しメッセージが現れる、という説がある)から
ヒントを得てやったのですけれど、
そういう手法の作品ってけっこうあるみたいですね。

このシカケは、生徒さんたちが
歓声をあげてとっても喜んでくれたので
本当に救われた気持ちになりました。

と、いうような経緯があり
先日3月13日、釜石東中学校の卒業式に出席させて頂いたわけです(凄く長い説明ですみません!)。

この春に卒業する生徒さんたちは、
1年生の終わりに震災を経験しました。

そして、3年間の中学校生活を
3つの校舎で過ごしました。

1年生の時は、美しい海辺にあった元の校舎。これは津波で破壊されて取り壊されました。
2年生の時は、車で20分ほど離れた別の中学校に間借りして学んでました。
3年生になってやっとプレハブの仮設校舎ができて、そこで中学生活を過ごしました。

僕はこの1年ほどで釜石に4回訪れ、
3つの校舎をぜんぶ見ているので(一つ目はすでに無残な姿でしたが)、
彼らの中学校生活の3年間を思うと
『みんな本当によく頑張ったなあ!!』という感嘆と尊敬の念で
胸が一杯になりました。

涙と笑顔にあふれて卒業してゆく彼らの姿は
ほかのどこにでも見られる、
極めて普通の、明るく健全な中学3年生の姿でした。

あれから2年の月日は
彼らにとって
僕などには想像もできないほど
本当にシビアなものだったと思います。

しかし彼らの口から出てくる言葉といえば、
常に『支援してくれた人たちへの感謝』でした。
僕は、
こんなふうにしてこの春卒業していった中学生たちがいるんだということを
多くの人に知ってほしいと、素直にそう思いました。

僕は、生徒の皆さんに
本当の奇跡を見せてもらったような気がしてます。
みんなは『釜石の奇跡』と讃えられ
それは本当に凄いことだと思うのだけれど、

僕にとっては
この2年間、みんながこんな厳しい状況のなかで
きっと胸のうちではいろいろなことがあったのだろうけれど
他人への感謝だとか気遣いだとかを持ちつつ
『明るく楽しく前向きに日常生活を過ごす』という態度を貫いた、ということのほうが
それ以上の奇跡であり偉業であるような気がしてなりません。

皆さんのこれからの長い人生が
幸せに満ちたものとなるように願っています。

3月20日(水)晴れ

今日も暖かかったです。

今年は桜の開花が驚異的に早いのだと
ニュースでしきりに言っているので、

いつもお花見をする近所の神社に
きのう偵察に行ってみました。
そうしたら、やはりもう咲き始めていました。

今年もぜひお花見をやりたいと思います。

3月19日(火)晴れ

今日は、地元の茅ヶ崎市立梅田小学校の
卒業式にお招きいただきまして
来賓として出席して参りました。

卒業生の皆さんが
『明日の空へ』を歌ってくれました。
とても感動的な合唱で良かったです。
素晴らしい卒業式に出席させていただいて
ありがとうございます。

卒業生の皆さん
まことにおめでとうございます!!
中学生になっても
楽しく元気にがんばって下さい。

それにしても今日は
ひじょうに暑かったです!!
卒業式ではなくて、1学期の終業式なんじゃないのと
錯覚するような暑さでした。

ちょうどお昼頃に帰ってきて、
祐太と散歩に行きました。
もう夏のような日差しと暑さで
祐太が熱中症にならないか心配なくらいでした。

いま、ウチのリビングの気温計を見たら
28.9℃という数字が出ていて
スゴイナーと思いました。
暖房も冷房もつけずに、窓を開けているだけなんですけどね。

3月18日(月)曇りのち暴風雨

おととい土曜日は、
東京で行われた『第29回中学校公開授業研究会』という会に
ゲストとしてお招きいただきまして
行ってまいりました。

この会は、
学校の音楽の先生が全国から大勢集まって、
『どういう授業を行ったら
 楽しく効果的に
 生徒さんたちの音楽に対する理解を深めることができるだろうか』
といったテーマなどについて研究する会です。

午前中から夕方まで1日がかりだったのですが、
その最後の『新曲指導』というプログラムで
僕が作詞作曲をした
『いつかこの海をこえて』と『一つの明かりで』
という合唱曲をとりあげていただき、
作者として少しお話をさせていただきました。

この2つの合唱曲は
すでに昨年の夏に
二部合唱(小学生むけ)の合唱の楽譜とCDが発売されているのですけれど、

このたび三部合唱(中学生以上向け)の楽譜が
↓音楽之友社さんから発売になります。(クリックして大きくして見てね)
blogpic02 082
いろいろな作者による
10曲の合唱曲が収録されています。
僕が作らせていただいた上記の2曲もこの中に収録されています。
合唱団の演奏によるCDつきです。

発売元の
↓音楽之友社のサイトでも購入できますので、ご覧いただけましたら幸いです。
http://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail.php?code=875798

3月17日(日)晴れ

今日は日曜なのでラジオの日でした。

星のコーナーは
しし座の話をしましたよ。

それはそうと、
いま地球に接近していて
日没直後の西の空に見えているはずのパンスターズ彗星を
僕はまだ見ることができていません。

1週間くらい前から
日本でも見えるようになっているのですが、
西の空の地平線ギリギリの低いところに
日没直後のわずかな時間しか見えないので
見つけるのはとっても難しいです。

僕は、この前の火曜日に
岩手県の北上駅前のビジネスホテルに泊まってました。
幸いなことに、ホテルの部屋が9階の西側の部屋だったので
部屋から双眼鏡で一生懸命さがしたのですけれど
西の空に雲があって、見つけられませんでした。

木曜日には大阪の
万博記念公園のホテルに泊まっていたので
モノレールの駅前で夕刻の西の空を
双眼鏡で探してみましたが
やはり雲が少しあって見つけられませんでした。

パンスターズ彗星は
これからどんどん地球から遠ざかってゆくので
日に日に暗くなってゆきます。
一度くらい見たいですねえ!

3月15日(金)晴れ

1泊2日で大阪&京都に行ってきました!

昨日は大阪の
豊中市立新田小学校に行って
合唱曲を歌ってくれている児童さんたちにお会いしてきました。

今日は、そのついでに
京都の郊外でいろいろと歴史探訪してきました。
20:49京都発の新幹線で帰ってきたら
家に着いたのが0時くらいになってしまいました。

いろいろと書きたいこともあるのですが、
明日は合唱指導のセミナーのゲストでお招きいただいてまして
早起きして東京に行きますので
もう寝ようと思います。

今週は本当にいろんな所に
行かせていただいてます。
どの体験も素晴らしかったので
明日以降ドンドン書きたいと思います~~。

3月13日(水)曇りのち雨

1泊2日で岩手に行ってきました!!
釜石市立釜石東中学校の卒業式に出席して参りました。

いろいろと書きたいこともあるのですが、
明日は早朝の新幹線に乗って
大阪に行くことになっているので
きょうはもう寝ます~。

3月11日(月)晴れ

今日は夕暮れのころに
息子の祐太と海岸に行って
パンスターズ彗星を探してみたのですが、

西の空に雲がたくさんあって
見つけられませんでした~。
それに空気もだいぶ濁った感じでした。

明日と明後日で岩手県に行くので
小さな双眼鏡を持っていこうかな。
泊まるのは北上駅前のビジネスホテルなのですけれど
部屋が上のほうの階で窓が西向きとかだったら嬉しいなあ。

3月10日(日)晴れ

今日は日曜なので、ラジオの日でした。

星のコーナーは
今週、日没直後の西の空に見えるという
パンスターズ彗星の話をしましたよ。

パンスターズ彗星は
太陽系の果てからやってきて、
また太陽系の果てに帰ってゆくわけですが
ちょうど今日、マラソンランナーが折り返し地点を回るように
太陽をぐるっとまわったところです(近日点通過といいます)。

太陽に近づいて来るときは
オーストラリアやニュージーランドのような
南半球の国でよく見えていたのですが、
これからは日本などの北半球でも見えるようになります。

といっても、
地球から見ると太陽のすぐそばにいるので、
日没直後の西の空の低~~いところに
わずかな時間しか見えません。
すぐに太陽の後を追って地平線に沈んでしまいます。

今日のラジオの生放送には、リスナーの方から
『9日(土)にパンスターズ彗星を見た。肉眼でもじゅうぶん見えた。
 双眼鏡で見たら2種類のシッポが見えた。』
という内容のFAXを頂いたので
僕も明日チャレンジしてみたいと思っています。

3月9日(土)晴れ

今日は、東京の池袋駅前で行われた
豊島区防災フォーラムというイベントでライブでした。

お越しいただいたお客さま、
イベントスタッフの皆さま
ご一緒したミュージシャンや中学生・高校生の皆さま
ほんとうにありがとうございました。

今日はとても天気が良くて
夏が来たような気温の高さでした。
が、しかし
黄砂やカフンのせいか
くしゃみがたくさん出ました。

帰りに自宅近くのコンビニに寄ったのですけれど、
車の屋根や窓に
大量の細かい粉のようなものが着いて
真っ白になっていたので
恐ろしいなーと思いました。

3月8日(金)晴れ

今日は、確定申告に行ってきました。

確定申告というのは
自営業者(ミュージシャンも自営業です)が
毎年3月15日までに、前年の所得を
申告しなければならないというものです。

これは毎年たいへんな作業なので
確定申告が終わると
やっと安心して春を迎えられる気分になります。

それはそうと、
今夜はテレビでWBCの『日本vs台湾』を見て
ずっと応援してました。

歴史に残るようなスゴイ試合で
何度も悲鳴を上げたり飛び上がったりしましたが
夜中の12時前にやっと決着がついて
日本が勝ちました!!
井端サンは本当のヒーローだと思います!!

次のオランダ戦に勝つと
準決勝に進めるので
またがんばって応援したいと思います。

3月6日(水)晴れ

今日はポルトガル語教室の日でした。

きょうは本当に暖かくて
もうスッカリ春ですなあという陽気だったので
川沿いの道を自転車で走るのもとても気持ちがよかったです。

帰りに川沿いの道を走っていたら
大きな鳥がいたので、なんだろうと思って
↓自転車を止めて写真を撮りました。(クリックして大きくして見てね)
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家に帰ってきて調べました。
たぶんカワウだと思います。
飛んでいるところはよく見るけれど
川の中に立っているのをあまり見たことが無かったので
分かりませんでした。

写真を撮っていたら
通りがかりのおばさんが、
『あそこにカワセミがとまってるわよ!!』と言うので
よくよく見ると、カワセミがいました!!
blogpic02+078_convert_20130306203958.jpg
↑鮮やかな青い背中とオレンジ色のお腹が
夕陽に照らされてとてもキレイでした~~。

家に帰ってきてから
祐太と一緒に散歩に行きました。
↓これは今日の祐太です。
blogpic02+081_convert_20130306204107.jpg
もうすぐ1歳半になります。
歩くのは大好きですが、まだ言葉はしゃべらないです。

天気が良くてとても暖かかったので
犬の散歩やジョギングやウォーキングをしている人が
いつもよりも大勢いました。

外で遊んでいる子どもも大勢いて、
近所の家の、この春から小学校に行くという女の子が祐太に声をかけてくれて
しばらくいろんな話をしました。

↓これは先日撮ったアオサギです。
blogpic02_convert_20130306203646.jpg
僕はアオサギがとても好きです。
近くで遭遇すると、その大きさに感動します。
アオサギの壮麗な羽ばたきと優美な飛翔には、
ひとつの宇宙が宿っている気がします。

3月5日(火)晴れ

3月は年度末なので
けっこう忙しいです。

とくに来週はいろいろと予定があります。

月曜日に確定申告に行って、
火曜日と水曜日は1泊2日で岩手県に行き、
木曜日と金曜日は1泊2日で大阪に行き、
土曜日は東京で開かれる合唱指導セミナー
(全国から中学校の音楽の先生が集まる研究会のようなもの)
にゲストということでお招きいただいています。

岩手と大阪へは
合唱曲を歌ってくれている学校の児童や生徒さんたちに
お会いするために参ります。

大阪への往復の新幹線のキップは
先日買ってあるのですが、
きょうは岩手への往復の新幹線のキップを
平塚駅に行って買ってきました。

来週の火曜日から金曜日までは
人生初の
『4日間連続で新幹線に乗る』という体験をすることになる
予定であります。
僕は電車に乗って遠くに行くというのが大好きなので
こういうのはぜんぜん苦にならないです。

3月4日(月)晴れのち曇り

今日は原稿を書くオシゴトをしてました。

おかげさまで
なんとなく書きあがりましたので
また明日、推敲したいと思います。

ということで
明日もがんばりましょう!!

3月3日(日)曇りのち雨

今日は、僕の実家の近所の
茅ヶ崎市立南湖公民館のお祭りで演奏してきました。

お越しいただいたお客さま、
スタッフの皆さま
本当にありがとうございました。

僕たちの演奏の前に
市立東海岸小学校の皆さんが
『明日の空へ』を合唱で歌ってくれました。
声量も豊かで、ハーモニーもとてもきれいで
感動的な合唱でした。

今日は日曜でラジオの日だったので
そのあと生放送をやってきました。

星のコーナーは
かに座の話をしましたよ。
カニ座が高く昇るようになると
春が来たなあという感じになりますねえ。

3月2日(土)晴れ

明日は実家の近所の公民館のおまつりで演奏するので
きょうはそのリハーサルをしました。
良い演奏ができるようにがんばります。

今夜はこれから
WBCの日本vsブラジルの試合があるので
がんばってテレビで応援しますよ!!

近所のお肉屋さんで
おいしいハムを買ってきたので
これを食べながら見ます。

山本カントクは
どんな打順を組むのかな??

日本代表チームに
我がベイスターズの選手が一人も選ばれていないのが
かな~り寂しいですが、

以前ベイスターズで活躍していた
ウッチー内川さん(現ホークス)が出ます。
ウッチーは、僕やサチコネエサンが大好きだった選手なので
今回の大会でも活躍を期待しています!!

3月1日(金)春一番のち大雨

今日はものすごい強風でした。
でもとても暖かかったです。

夜になったら大雨になりましたが
いぜんとして気温はとても高いです。
もうスッカリ春ですねえ。

ところで
明日から野球の世界大会WBCが始まります。
僕は野球が大好きなので
がんばって日本代表を応援したいと思います!!

2月28日(木)晴れ

今日はとても暖かかったです。
すっかり春だなあーと思いました。

ところで急な話なのですが、
3月9日(土)に東京の池袋でイベント出演があります。

このイベント出演については、
出演する中学校の校長先生からお話を頂いていたので、
学校のセレモニーのようなものかと早合点しておりました。

しかし昨日、打ち合わせで池袋に行ってきましたら、
主催者の行政や学校の方から
『オープンイベントで誰でも見られますから
 どんどん告知して下さい』と言われたので、

↑『LIVE』のページにもこれから載せてもらいますが
こちらにも書かせて頂きます。

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●3月9日(土)東京都豊島区・防災フォーラム

   東京の池袋駅の西口駅前で行われる防災イベントで3曲ほど演奏させていただきます。
   どなたでもご覧いただけますので、お時間がありましたらぜひお立ち寄り下さい。
   アクアマリンの出演は、下記プログラム『第2部』の中で15:30頃からの予定です。
   また『第1部』の中で千川中学校の皆さんが『COSMOS』の合唱を披露してくれる予定です。

   イベント名:平成24年度豊島区防災フォーラム
          ~1.17神戸から3.11東日本 そして未来へ~
   日   時:3月9日(土)14:00~18:30
   会   場:池袋西口公園(池袋駅西口から徒歩すぐ)

   プログラム:第1部(14:00~15:00 於:池袋西口公園)
            『千川中学校の防災教育研究発表』
         第2部(15:00~16:30 於:池袋西口公園)
            『被災地との絆を深めよう~交流の集い・ミニコンサート~』
             出演:アクアマリン、石田裕之さん 他
         第3部(16:30~18:00 於:東京芸術劇場地下2階リハーサルルームL)
            『防災ユースサミット』
         エンディング(18:00~ 於:池袋西口公園)
            『神戸の希望の灯りを宮古田老の夢灯りに点火』

   主   催:豊島区、豊島区教育委員会
   お問合せ先:豊島区防災課(電話:03-3981-2100)

   *屋外でのイベントです。小雨決行とのことですが悪天の場合はプログラムの
    一部変更・中止があるそうです。あらかじめご了承下さい。
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