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12月23日(日)晴れ

昨年から今年にかけて
『一つの明かりで』と『いつかこの海をこえて』という
2曲の合唱曲を作らせて頂きました。

すでに、ことしの夏に
この2曲が収録されたCDが
日本コロムビアさんから発売されているのですけれど
(福島県の小学生の皆さんが歌ってくれた音源です)、

来年の3月に、
また別の合唱団による演奏のCDつきの楽譜が
音楽之友社から発売されるそうです。
こちらは、『コールフロイント』という
大人の合唱団の方々が歌って下さいます。

で、きょうはそのレコーディングが東京で行われました。

以前、音楽之友社の方から
『12月23日にレコーディングを行うので、
 時間があったら立ち会いませんか』と
お誘いいただいていたので
今日、東京の神楽坂まで行ってきましたよ。

お昼の12時から、『音楽の友ホール』という立派なホールで
レコーディングが行われました。
僕がちょうど12時に着いたとき
合唱団のコールフロイントの皆さんはリハーサルを終えて
さあこれから録音する、というところでした。

最初に『一つの明かりで』を録音して、
次に『いつかこの海をこえて』を録音しました。
何テイクか録りながら、そのつど修正点を協議して最初から歌い直したりするので
OKテイクが録れるまで1曲につき1時間くらいかかります。

僕は、こうした合唱のレコーディングに立ち会ったのは初めてだったので
その過程を目の前で拝見して
『なるほどー、こうやって録音するのか~』と
全てが新鮮でした。

小学生の皆さんが歌ってくれたCDも感動的でしたが、
大人の合唱団の演奏も素晴らしかったです。
これはどちらのほうが良いというものではなくて、
まったく別ものなので、どちらもそれぞれ感動的です。

コールフロイントは
レコーディングやコンサートを数多く行っている
ベテランの合唱団ですので
(僕も一度だけコンサートを見に行ったことがあります)、
音符の一つ一つ、曲のすみずみまでが
カンペキに作り上げられていました。

僕はホールの客席に一人で座って
その素晴らしい演奏を聴かせていただきました。
きわめてゼータクな体験でした。

『一つの明かりで』と『いつかこの海をこえて』の2曲は、
両方とも、東日本大震災の後に作った曲です。

『一つの明かりで』のほうは
山形県の蔵王の小学生と中学生たちが
自分たちの町に避難してきた被災者の皆さんを励ましたいという様々な活動をする中で、
『自分たちでも歌を作りたい』と思い立ち、
僕に相談のメールを送ってくれたことがきっかけでできました。

彼らは『地球星歌』を歌ってくれていたので
その作者のミマスという人に相談してみよう、ということで
メールをくれたそうです。

蔵王第三小学校の5年生と6年生の皆さんが
それぞれ想いをこめた詩を書いて送ってくれたので
僕はそれをもとに詞を書き、曲もつけて送り返しました。

『いつかこの海をこえて』のほうは、
これも経緯を話すと長くなるのですが、
被災した岩手県の釜石東中学校の生徒の皆さんのために
僕が歌を作らせていただくということになり
全校生徒の皆さんが送ってくれた言葉を元に
僕が詩と曲を書いたものです。

どちらも震災がきっかけでできた曲なので、
きょう、コールフロイントさんの
ものすごく感動的な合唱を聴いていたら
震災当日から今日までのたくさんのことが思い出されました。

あの日、自宅のリビングでテレビを見ているときに
激しい地震が来て
『家がつぶれる!』と思って急いで外に出たら
隣の駐車場にとめてある自動車がみんな激しく踊っていて
『これは大変なことが起こっている!』と直感したことや、

妊娠中で一人で産院に定期健診に行っていたサチコネエサンと
『いま揺れてるよ!』という電話を最後に
そのあと数時間連絡が取れなくなってしまったことや、

計画停電やガソリン不足のことや、

震災後の1ヶ月くらいは毎日のように大きな余震があって
ストレスが溜まったり良く眠れなかったりしたことや、

テレビが全部『こだまでしょうか』と『ポポポポーン』になっていたことや

異様な自粛ムードが蔓延していたことや

ボランティアで行った宮城県の女川で見たひどい光景のことや、

蔵王の子たちのために『一つの明かりで』を
いっしょうけんめい作っていた時のことや、

『いつかこの海をこえて』の歌を作るために
釜石の中学校が送ってくれた
全校生徒180人ぶんの言葉や想いを読み終わるまでに
何度も泣いたことや、

その釜石の中学校を実際に訪れたときに
校舎の床が3階まで海の泥に埋まっていて、
音楽室で泥だらけのグランドピアノが逆さまになっていて、
それを見ながら音楽の先生が
『ウチの生徒たちはミマスさんの作った歌が好きで、
 COSMOSも地球星歌もこの教室で歌っていたんですよ』と
言われた時の押しつぶされそうな気持ちとか

被災地で会った人たちに聞いた
たくさんの悲しい話とか

いろんなことを
いっぺんに思い出しました。

『一つの明かりで』も『いつかこの海をこえて』も
少しでも児童生徒の皆さんの想いを
ちゃんと歌詞やメロディーに表したい、という思いで
本当に一生懸命つくりました。
いま振り返っても、限られた時間と
ものすごいプレッシャーの中でベストを尽くせたと思っています。
でもそれも実に小さなことです。

『一つの明かりで』を作るきっかけになった
山形の蔵王の学校は
小学生は全校で9人・中学生は全校で12人という
ほんとうに小さな学校で、校舎も両方が一緒になっていました。

蔵王に今年の3月にお招きいただいて
その合計21人のみんなと会った時に
『ひとことコメントを…』と言われたので
僕はみんなに言いました。

『僕には生まれたばかりの、0歳の息子がいます。
 彼が成長してもう少し大きくなったら
 いつか僕にこう聞く日がくると思います。
  「僕がママのお腹の中にいるとき、
   大きな地震があって、おおぜい亡くなったんでしょう。
   でもその時に、日本じゅう世界中の人がお金を寄付したり
   助けに行ったりしたんでしょう。
   その時に、父さんも何かしたの?」
 そう聞かれたら、僕は
 うん、僕も自分にできることをやったよ、と
 答えると思います。
 それは僕にとってとても大事なことです。
 そう答えることができるのも、
 皆さんの、被災した方々の力になりたいといういろんな活動の一端に
 僕を誘って仲間に入れてくれたからです。
 皆さんには本当に感謝しています。
 息子が大きくなったら、僕は必ずみんなのことを話します。
 僕は息子に、みんなのような人間になって欲しいです。』

蔵王の21人の小中学生たちは
今でも、本当に凄いと思っています。

あのとき日本じゅうの多くの人が
何かをしたいと思ったけれど
自分に何ができるのか、何をしたらいいのか分からずに
なかなか具体的な行動を起こせなかったわけです。
僕もそうでした。

そんな中で、蔵王の子たちは
震災後すぐに自分たちができることを考えて、見つけて、やった。
自分たちの町に避難してきた人たちのところへ行って
歌を歌って踊りを踊った。
本当に尊敬します。

ということで
だいぶ話がそれてしまいましたが、

今日レコーディングされたCDつき楽譜が
来年3月に発売されましたら
またご案内をさせて頂きたいと思いますー。
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