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8月13日(土)晴れ

今日は、おととい『山の日(8月11日)』に登った
二上山の写真を載せます。

二上山(にじょうさん)というのは
大阪府と奈良県の境目にある山です。
標高は517mですので、ごく初級向けの山ですね。

以前からずっと『登ってみたいなあ』と思っていた
憧れの山だったのですけれど、
この夏ちょうど大阪でお仕事があり、
その翌日が偶然にも今年から始まった祝日『山の日』であることから
登ってみることにしました。

大阪の環状線で天王寺駅まで行き、
阿倍野橋駅から近鉄電車に乗りました。
↓これがカッコいい近鉄電車です。(クリックして大きくして見てね)
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二上山駅で降りて、さっそく歩き始めます。
ものすごく暑くて、大阪は36℃の予報が出ていましたので
駅前のお店でペットボトルのスポーツドリンクやお茶を買い込みました。

きわめて暑かったですが
↓登山道は森林の中で、ずっと日陰だったので助かりました~。
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とても気持ちの良いハイキングです。
ヒグラシの大合唱の中を登っていきます。
木々の緑も美しく、本当に幸せな時間です。

尾根に出ると
↓奈良県側(奈良盆地)の大パノラマが広がります。
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ところで
なぜこの二上山に登りたかったかというと、
この山は、飛鳥時代の歴史や
万葉集などが好きな人にとっては
超有名な山なのです。

いまから1300年以上むかしの飛鳥時代に
大津皇子(おおつのみこ)という人がいました。
この皇子は、天武天皇の息子の一人でした。

大津皇子は『天皇の息子』という高貴な身分でありながら
わずか24歳のときに、ヌレギヌの罪を着せられて
死に追いやられてしまいました。
こんにちでもこの悲運の物語は、飛鳥時代の歴史のなかでも
多くの人の涙を誘う有名なエピソードです。

古代というのは、
天皇が亡くなると
だれが次の天皇になるのかで権力争いが起こることがよくありました。
天智天皇の後継を争った『壬申の乱』のように
国を二分しての内乱になることもありました。

天武天皇が亡くなった後は
妻の持統天皇が位を継ぎましたが、
ではその次はどうするのかというのが問題になります。

大津皇子にも皇位を継ぐ資格はじゅうぶんにありましたが、
ライバルの草壁皇子(くさかべのみこ)のほうが遥かに優勢でした。
なにしろ草壁皇子の母は持統天皇という『現職』の天皇ですが、
大津皇子の母は別の女性で、だいぶ前に亡くなっているので
支援者も少ないのです。

そして、大津皇子は無実の罪を着せられ
殺されて(自害に追いやられて)しまいます。
わずか24歳のときです。

↓その大津皇子のお墓が、この二上山の頂上にあります。
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二上山に登る人たちのなかには
都会の郊外の気軽なハイキングコースとして登る方も多いですが、
古代の悲劇の物語の主人公・大津皇子を偲んで登る人も多いそうです。

↓これは山頂(雌岳)からの眺望です。
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奈良盆地のなかでも、飛鳥地方のあたりが見えます。

じつは、大津皇子にはお姉さんがいました。
大伯皇女(おおくのひめみこ)という人です。

僕は万葉集がとても好きなのですけれど
4500首とも言われる、万葉集のおびただしい数の歌のなかで
いちばん好きなのがこの大伯皇女が作った歌なのです。

大伯皇女は、無実の罪で命を落とした弟を想い
ほんとうに切なく美しい歌をいくつか残しています。

『都へ向かうあなたを見送るうちに夜は更け、気がついたら朝露に濡れて立っていました』
という歌は、僕は学校の授業で習いました。

『あなたがこの世の人ではなくなってしまったので、
 これからはお墓がある二上山をあなただと思って生きていきましょう』
という歌は、人類史上最高クラスの美しく悲しい歌だと思います。
こんなみずみずしい歌を、1300年以上むかしの人が作ったというのは
僕にとっては本当に衝撃的です。

僕は、二上山の頂上から飛鳥の里を眺めて
『大伯皇女は、あそこからこちらを見上げて大津皇子を想うことがあったかもしれないな…』
と感慨に浸りました。
僕にとっては、このような『史跡を訪れて古を偲ぶ時間』は
ほんとうに豊かで大切な時間です。

そんな話はいいとして、
↓こちらは大阪側の眺めです。
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↓遠くに大阪の摩天楼がハッキリ見えます。
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あの左端のいちばん高いのが
日本で一番高いビル『あべのハルカス』です。
あの下から近鉄電車に乗ってここまで来たわけです。

ということで
すばらしい『山の日』を過ごすことができました~。
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