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8月18日(木)晴れのち曇り

先週、お仕事で大阪に行ったさいに
ついでに(お仕事の前に)趣味の歴史探訪をしてきましたので
今日はその写真を載せようと思います。

↓これは、JR東海道本線の島本駅です。(クリックして大きくして見てね)
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島本駅は、東海道本線が京都府から大阪府に入ったところにあります。

↓島本駅の隣にはちょっとした緑地公園があります。
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どこにでもあるような緑豊かなスペースですが、
ここが今回の歴史探訪の目的地です。

↓『史跡・桜井の駅跡』と書いてあります。
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『桜井の駅』とは、いまから700年くらい昔
鎌倉時代の終わり頃にここにあった施設だそうです。
『駅』といっても鉄道の駅ではありません。
中世に、主要な街道沿いに、一定の距離ごとに作られた
馬を交換するための施設です。

ここは、鎌倉時代の終わりから後醍醐天皇による『建武の新政』をへて
室町時代の到来までを描いた『太平記』という
壮大な物語のなかで、重要な場面で登場する場所です。

『太平記』の主人公の一人、
楠木正成(くすのきまさしげ)という武将が
足利尊氏と戦った『湊川の戦い』の直前に、

『この戦いで勝ち目は無い。自分は死ぬことになる』と悟り、
息子の正行(まさつら)に遺言を伝えて『お前は帰れ』と故郷に帰すのです。
ひじょうに切ない、涙を誘う場面です。
じっさいに、楠木正成は湊川の戦いで破れ自害し
二度と息子に会うことはありませんでした。

それが『桜井の別れ』という有名な出来事なのでけれど、
その舞台となった『桜井の駅』というのが
この島本町にあったのだと言われています。

↓石碑には、『楠公父子訣別の所』と書かれています。
『楠公』とは楠木正成のことです。
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正成と息子・正行の像もありました。
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古今東西の歴史のなかで、
『わずかな兵で大軍を破った』という例はたくさんあります。
ハンニバルや源義経はその代表選手です。
その劇的な勝利の物語は、やはり感動的なので
時代を越えて多くの人の心をとらえ、語り継がれてゆきます。

楠木正成は、そうした武将のなかでトップクラスの人だと思います。

彼がやったことは、
『わずか数百人の兵で鎌倉幕府を滅ぼした』ということです。
実際は、彼が幕府を滅ぼしたわけではないのですが
結果的には彼の小さな反乱がきっかけとなり
幕府はあっというまに崩壊しました。

後醍醐天皇が、楠木正成に
『お前は本当に鎌倉幕府に勝てるのか?』
と聞いたとき、

『勝つ必要はありません。』と答えたそうです。

つまり、
たった数百人の兵しか持たない全く無名の地方豪族にすぎない自分が反乱を起こせば、
鎌倉幕府は大軍を送って鎮圧に乗り出してくる。
世の中のひとたちは、すぐに決着がつくと予想する。
そこで、自分は地元・大阪の山奥に逃げ込んで、何ヶ月も得意のゲリラ戦で耐えることにする。
そうすると、その様子を見ていた
幕府に対して大きな不満を持っている全国の有力な大名や武士たちが
こう考えるようになるわけです。

『あれ? あんな小さな反乱を、大軍を投じても抑えられないなんて
 幕府って、ほんとはすごく弱いんじゃないの?
 オレたちが立ち上げれば、幕府をやっつけることができるんじゃないの?』

実際の歴史も、楠木正成の読んだとおりになりまして
足利尊氏や新田義貞といった有力な武将が
次々と幕府に対して反旗を翻し
鎌倉幕府をあっというまに滅ぼしてしまいました。

僕はやはり、楠木正成って
頭の良い人だなあと思います。

ひとことで言うと、
『アリがゾウに勝つ方法を思いついて、実際にそれをやった人』
だと思います。

僕は以前、
楠木正成がわずかな兵力で山奥に立てこもって
十万人ともいわれる幕府軍を翻弄した
大阪の『赤坂城』や『千早城』も見に行ったことがありますし、
彼が最期を迎えた神戸の湊川神社にも行ったことがあります。

今回、この『桜井の駅』に来たのも
その流れであります。

↓島本駅前の交差点には『桜井』の地名が残っていました。
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この交差点の看板を見たときには
『おお~、すごい、本当にここが桜井の駅なんだなあ』
などと、ちょっと感動してしまいました~。
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