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4月7日(日)晴れ

今日は日曜なのでラジオの生放送の日でした。

星のコーナーは
コップ座の話をしましたよ。

ということで
今日も、せんじつ行ってきた
アメリカ旅行の写真を載せます。

3月25日に、7歳の息子が終業式から帰ってくると
すぐに羽田空港に向かいました。
19:20発の飛行機で出発しました。
ロサンゼルスまで、10時間半のフライトです。
僕は着いたらすぐクルマを運転するので
飛行機の中ではひたすら寝ました!

↓ロサンゼルスの都会が眼下に見えてきました。(クリックして大きくして見てね)
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空港についてすぐレンタカーを借りました。

今回の旅行のメンバーは7人です。
僕とサチコネエサン、7歳の息子と5歳の娘、
子どもたちのおばあちゃんたち(サチコネエサンの母上と僕の母親)、
子どもたちの叔父ちゃん(サチコネエサンの弟君)です。

借りたクルマも、とても大きなものでした。
7人乗って、全員ぶんのトランクも積めました。

これが、僕たちが借りた
↓シボレーのサバーバンという車です。
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僕は、こんな大きなクルマを運転するのは
生まれて初めてでした。
ハイウェイを走るのには楽ですけれど
車庫入れの時は本当に難儀しました~(笑)。

ロサンゼルスに着いた日は
そのまま北へ400kmほど走って
ローンパインという町で泊まりました。

ローンパインでは2泊しました。
ここは、死の谷デスバレーに最も近い町の一つです。
ここを拠点に、デスバレーとマンザナールというところを見学しました。

まず最初に行ったのが
↓『マンザナール強制収容所跡』です。
19040603.jpg
ここは、日本とアメリカが戦争をしていたときに
日系人の人たちが収容されていた場所です。

1941年12月8日に
日本がハワイの真珠湾を攻撃してアメリカとの戦争が始まると、

アメリカに住んでいる日系人の人々は敵とみなされ
とつぜん強制的に、この苛酷な環境の荒野に連れてこられ
鉄条網の中で、監視塔の下で暮らすことになりました。

1万人以上の日系人がここで4年近く過ごしたそうです。

現在は史跡として整備されており
日系人が住まわされた簡素な建物が復元されていたり
展示館があったりします。
19040604.jpg
↓これは監視塔です。
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展示館に並べられていたのは
日本人としましては
ほんとうに胸が締めつけられるようなものばかりです。

とくに印象的だったのは
当時のアメリカで日系人がどのようにみなされ、扱われていたのかを示す
さまざまな写真です。

大きなパネルの写真に写った看板には
『われわれ白人のすぐそばで、ジャップたちがうごめき回っている!』
というショッキングなプロパガンダが書かれていました。
そういう疑心暗鬼というか、社会不安が煽られ増大して
暴走していったのだと思います。

また、幼い子どもたちの写真も衝撃的でした。

ここに強制収容された日系人のなかには
子どももおおぜいいたのです。

小さな男の子が
冷たそうなシャワーを浴びせられて顔をしかめている写真には
ほんとうに、胸が痛くなりました。

僕は7歳の息子と5歳の娘に向かって
『戦争というものは、すべてを狂わせるのだ。
 この言葉をここで覚えておきなさい。
 WARは戦争、RACISMは人種差別だ。』
と言って、
戦争とディスクリミネイション(差別)というものについて
僕自身の言葉で解説をしました。

このあたりのことは
僕が自分の子どもたちにいちばん伝えたいことのひとつなのですが
彼らの心にどのくらい届くかは分かりません(笑)。
まあでも、ちょっとでも伝わってくれるといいなあと思います。

史跡のいちばん奥には
↓この慰霊塔がありました。
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戦争が終わる前に、ここで亡くなった方がおおぜいいるのです。

とてつもなく美しいシエラネバダ山脈を背景に
ポツンと建っているこの慰霊塔の前に立ったときは
みんな言葉も無くじっと
山々と荒野と慰霊塔を見つめていました。

僕は、ここへ来てほんとうに良かったと思いますし
多くの日本人の方々にもここへ来て欲しいと思います。

ということで
また明日以降に死の谷デスバレーの写真を載せたいと思います。
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