FC2ブログ

8月15日(木)曇り時々雨

今日も実家の自宅スタジオに行って
僕のコーラスパートを1曲ぶん録音しました。

ということで、今日も先日行ってきた旅行の写真を載せます。
旅行の写真はきょうで最後になります。

↓これは福井県の敦賀で食べたマグロ丼です。(クリックして大きくして見てね)
19081501.jpg
とても美味しかったです。
サチコネエサンや子どもたちは地魚のお刺身定食を食べてました。

旅行最後の日(8月8日)は
↓敦賀の金ヶ崎城跡に行きました。
19081502.jpg
この敦賀の金ヶ崎城は
戦国時代に『金ヶ崎の退き口』という
有名な出来事の舞台となったところです。

織田信長が越前(福井)の大名・朝倉義景を攻めようと
この金ヶ崎まで進軍して来たときに、
背後から近江(滋賀)の大名・浅井長政が
織田信長に攻撃をしかけてきました。

浅井長政は
織田信長にとっては自分の妹であるお市さんを嫁がせて
義兄弟になっていたので
すっかり安心していたのですけれど、
浅井長政は信長を『裏切った』わけです。
北の朝倉軍と南の浅井軍で、織田信長を挟み撃ちにしたわけです。

絶体絶命の大ピンチに陥った織田信長は
大慌てで京へ逃げ帰り、なんとかピンチを脱しました。

織田信長が浅井長政の裏切りを知ったのは
妹であり、浅井長政に嫁いでいるお市さんが暗号を送ったからだという
逸話があります。

お市さんは兄である信長を救うために
夫である浅井長政の目を盗んで
『小豆を入れて両側をヒモで縛った袋』を
信長の陣に送ったのだそうです。

袋に入った小豆は織田軍を表し
両側をヒモで縛ってあるのは『両側から挟み撃ちにされる』という
意味だそうです。

織田信長はそれを見て事態を悟り
急いで逃げてピンチを切り抜けたというわけです。
この撤退劇を『金ヶ崎の退き口』といいます。
逃げ帰る信長を最後尾で守ったのが豊臣秀吉や徳川家康でした。

金ヶ崎城跡のある高台には金ヶ崎宮があります。
↓敦賀の町を見下ろす森の中にある神社です。
19081503.jpg
展望台からは美しい敦賀湾が一望できます。
↓とても素晴らしい眺めでした~。
19081504.jpg
金ヶ崎宮で
↓小豆を入れて両側を縛ってあるお守りを買いました。
19081505.jpg
難関突破のお守りだそうです。
ありがたいことでございます。

最後に敦賀の魚市場に行ってオミヤゲを買って
敦賀駅に行きました。
ここからみんなには特急しらさぎと新幹線で平塚へ帰ってもらい
僕はそのままクルマで
翌日のお仕事の会場である大阪へ向かいました。

2泊3日でしたが
いろいろな史跡を巡ることができて充実した旅行でした。
7歳の息子はまだまだ行きたい史跡が日本じゅうにたくさんあるそうですので
また機会をつくって歴史探訪に出かけたいと思います。
スポンサーサイト